941話考察
日和の正体="プリンの没案"説
このサイトでは作中で明言されるまで日和は小紫ではない説を推し通すことにしていた。
しかし何であろうと日和にはどこか妙な雰囲気が漂っている。
たとえばゾロと"添い寝"をした時どういうわけか目を輝かせて「私の添い寝は皆さん鼻の下を伸ばされます!!嬉しかったですか?」と、よく分からないことを言っていた。
よく分からないことと言うのはつまり小紫と別人だとしても日和は結局"花魁"として働いていたように取れるし、(本当に添い寝だけの担当とかなら話は変わるが…)
同一人物だとしたら添い寝の記憶があるのに"小紫"の時とまるで別人の雰囲気があるのは妙だということである。
というかなぜこんなに清々しいのかというのが最大の疑問である。
うーむ………………"ワノ国"では本当に花魁は尊敬される仕事(存在)なのかもしれない?
そんな悩むところでタイトルにある"プリンの没案"説である。
プリンの正体が明らかになる前は自分も含め様々な人が二重人格説を考えていた。
結局二重人格ではなかったが、もしかしたら初期のプリン(三つ目の少女)の案ではそれで練られていた可能性はあるだろう。
読者の裏をかく事で有名な作者なので二重人格説が巷で広まったところでもう一捻りしてやろうと思ったわけである。(勝手な推測であるが)
要するにその案がプリンに採用されなかったので次の長編のヒロインに回したというのがこの予想である。
つまり日和と小紫が同一人物だとして雰囲気が色々と大きく違うのは演技でも狂死郎による催眠術でもなく日和独自の性質から来ているのかもしれない。
悪魔の実の可能性もあるが、何だろうとつまり花魁の時は小紫の人格がメインでオフの時は日和の人格が出る感じである。
日和が妙に子供っぽいのは小紫としての期間がトータルで見ると長いからと解釈できる。
添い寝に関しては"終わった後"に小紫から日和に戻りただ一緒に寝てるだけという感じ…………という解釈でいいのかなぁ……?
結局プリンの没案説で考えてみても日和にある違和感は消せなかった気がするが、というか本当に途中で言ったように花魁がこちらの世界とは違い尊敬されてやまない存在なら日和の清々しさは違和感なく説明できる気もする。
それに一応そういう事なら未来に飛ばされず現代に残った日和が花魁になったとしてもそれは別に悪いことじゃなかったと解釈することもできる。
そういえば今回の日和にはまだ謎があった。
それは丑三つ小僧のことを個人的に知っているかのように言っていたことである。
この二人には一体どんな繋がりがあったのか、それについては次の考察へつづく…