ワンピースの疑問を分析

(1)

黒ひげの発言には山ほど疑問はあるが作者しかこの時の何を考えていたか本当の事はわからない。

しかし覇気とヤミヤミの実の力は似て非なるもので、黒ひげも過信する癖があるのでこのように解釈はできる。



・防御不能の攻撃力は黒ひげの過信

・「まさか」と言ったエースの発言は自分の体が火になれないと気づいた(覇気で掴まれても火になることは出来る)

「殴られた事は久しぶり」はvs白ひげ戦以来殴られなかった(新世界の海賊でもエースと真っ向勝負出来る者はいなかった)



とこのように解釈しても別に矛盾はない。実際エースの懸賞金は5億5000万ベリーである。無茶苦茶強い。

おそらく覇気の構想と昔から考えていたヤミヤミの実の構想が際どいタイミングでぶつかったからこうなったのだろう。

これによって覇気の正体がさらに隠れるようになったと当時自分は感じた。

ここからはもし昔から覇気の構想があった場合を考えてみる。

真っ先に浮かぶのは黒ひげの台詞。


「あの覇気で」(25巻234話)

覇気という意味が本来の意味ではなく能力的な意味だったと解釈できる。そしてこの頃から覇気を発していたことになる。

これなら


(22巻204話)

血だけではなく覇王色の覇気も混じっていたと説明でき血の水分量程度で自然化無効という疑問は吹き飛ぶ。


見ようと思えば覇王色の覇気に見える

さらに遡ると


「まさかあのガキ・・・・・・!!(覇気か!?)」


覇気じゃなくホッとして笑みがこぼれる

ハッキリ言ってこれは無理矢理の力技解釈だが矛盾は起きないと思える。

こういう解釈で考えるのも真実はどうかは別として面白いかと。


例えば空島で突然出てきたゾロの飛ぶ斬撃は描写自体はそこからだが昔からドリーとブロギーの覇国という遠距離攻撃の技もあり、ミホークのガレオン船真っ二つなど飛ぶ斬撃と思われる要因はいくつかあった。

自分は飛ぶ斬撃が出てきた時そのような技の説明がむしろ出来ると思ってそんなに違和感はなかった記憶がある。

覇気もこのような感じで浸透させようと作者は考えたのではないだろうか。

ここから本題の覇気の必要性はあったのかという事に関しては、自分は出てきて大正解・・・・とまでは言わないけど結果的に別に問題なかったと思う。

もし出てこなかった場合相性海楼石のみで対抗するしかなく、一番シンプルな海楼石での対抗策での戦いが増えると「また海楼石か」と誰もが思うようになっていただろう。

海楼石の剣、海楼石入りの手袋、海楼石入りの靴、実力者は全員海楼石装備

なんてなると物凄くセコイ戦いになりそうな気がする。(卑怯という意味ではない)

相性の問題も出て来るので最強の座があやふやで非能力者の立場がほとんどないという事になっていただろう。

そして大半の者が覇気を身につけていないという点もいい。※ただしこれはドレスローザ編を見る限りもう違う気がする

女ヶ島の人間のほとんどは覇気が使用できるのに、スモーカーのような准将で知識はあっても使えない者は多い。

コビーも「ハキ・・・・・・!?これが・・・」(60巻594話)と言っているのでなんとなく知識はあったと思える。(もしくはただ動揺しているだけか)

おそらく覇気は習得する側も大事だが、何より教える側教育法が大事なのだろう。

女ヶ島では適切な教え方が昔からあったので誰もが使えるのだ。


「当然の力」とまで言っている(53巻516話)

しかし他では海軍すらまともな教育方法が定まってなく、

潜在能力などたまたま開花した者だけコントロールの指導をしているのかもしれない。

少年漫画でよくある習得する側の才能が肝心というのとおそらく真逆なのだ。(本当にそうなら面白い)

コビーも見聞色が身についてから「ガープに教えて貰え」と医者に言われている。

覇王色の覇気のようなごく少数しか持たない特別な力の存在もあるのでその点のバランスもいいと思う。

これならCP9が覇気を使えなかった理由は教育者が無能だったと解釈できる。

そして苦労して覇気を覚えるより肉体修行の方が強くなるという可能性もある。

コビーに説明した海軍の医者は「本来長期の鍛錬で引き出す」と言っているので並大抵じゃ身に付かないのだろう。

例を挙げると蛇姫姉妹はギア2のルフィのスピードに追いつけず攻撃されていた。

空島の神官達も結局倒されている。
下手に覇気に頼ると肉体修行が疎かになるのではないか。

つまりもしこれから良い指導者に巡り合って覇気を身につけたら基礎的な肉体修行をほぼ終えているCP9(特にルッチ)はさらに強くなるだろう。

覇気の必要性などを色々考えてみたが、いずれこのような力は必要になったと思う。(ただのゴム人間がガチガチの海楼石装備で戦って海賊王になってもなんか微妙な気がする)

ちなみに


「覇気も上がってる」(56巻544話)

覇気はそのような感覚で分かるのだろうか?

このような言い方は黒ひげしか使ってないので黒ひげなりの覇気の解釈だろうか。

覇気は基本的に表に出ず内側から発するという感じが個人的には良いと思うがこれから果たしてどうなるか。(物に込める場合も内側に浸透させるイメージ)

まあ三大将の例があるので普段から外に出ても不可視なら問題ないと思う。(黒ひげは特別にそれが見える?)

つまり結局この覇気は何を意味しているのか。

それはワンピースは勢いが大事というもではないか。

過去の整合性より現在の展開の明快さ、これを作者が重視したから覇気は浸透した。

読者もそれほど拘りを持つ人が少なかったから何だかんだで受け入れられた。

2015年になって改めて覇気についてちょっと考えてみたら別にいいのではということで落ち着きました。人は慣れるものである。

ページのトップへ戻る