作者と読者の浮かべる「カイドウ像」にはギャップがある?

1001話からいよいよ本格的に始まったカイドウ戦。

5人の力を見たいカイドウはビッグマムに下がるよう提案をした。

物好きだと呆れるビッグマムの反応がカイドウの事をよく分かっている(二人の歴史が上手く表現されている)感じが出ていていい描写だと思ったが、それ以上に気になったのはカイドウがどこかの戦闘民族っぽい事を言ったところ。

実際5人と戦っている時カイドウは楽しそうに笑みを浮かべていた。

しかしルフィ、赤鞘、おでんの攻撃が効いた時は焦っていた。

何となく思ったのだがカイドウとベジータは似ている部分がある気がする。

優勢の時は愉快だが劣勢になると焦り出す部分がそう思わせた。

最近作者と読者が浮かべる「カイドウ像」にはギャップがあるのではないかと疑っていたのでこの例えは的を射ているのではないかと思ったわけである。初登場時はともかくベジータは大物ではない。

ギャップの分かりやすい例はアニメとの違いがある。

原作ではビッグマム海賊団がワノ国に迫っている情報を聞いたカイドウは大いに焦っていたがなぜかアニメでは真逆で「全面戦争だ!」どっしり構えていた。(代わりにクイーンが焦る役を引き受けていた)

アニメ制作者も読者枠に入るはずなのでイメージと違うという事で(おそらく独断で)変更したのだろう。

ただしビッグマムがやって来ると始めに聞いた時(その前回に当たる923話)では原作と同じように狼狽えていたのでもしかしたらその2話はそれぞれ担当者が違うのかもしれない。

当然読者の間でもカイドウ像のイメージは違うのでこのような違いが生まれるのだろう。

ワノ国編の大ボスという事で最強の超大物のポジションにいて「死は人の完成だ」などカッコいい事を言ったりするものの、所々小物っぽくも描写されているので最後の最後でどう描かれるかというのは本当にすべきポイントだと思う。

ローの攻撃で「うわああああああ!!!」と叫んだかと思えばすぐに龍になって見開きで大物の雰囲気を漂わせて描かれたりと1話の中でも移り変わりが激しい。

他にも冷静になった後は戦闘民族っぽくワクワクしていたが最初にルフィの攻撃が効いた時にはおでん達の幻影を見るほどパニクってもいたので"白ひげ"のようにカッコよく死ぬかもしくは白ひげにやられそうになった時の"黒ひげ"のような感じで取り乱して死ぬかは50/50かもしれない。

死は人の完成とまで言い切った大ボスが最後に情けなく死ぬかもしれない確率として50%はかなり高いと思うが、たまに描かれる小物っぽい部分は実際にそれを予感させている可能性はある。その為にあえてカッコいい生死観を言うシーンが描かれたとしても驚かない。

どう転ぶかの鍵は"趣味"の理由だと思うのでまずはこの真相が明らかになるのを待つだけである。

果たして最後はどちらのカイドウ像に揺れるのか───